老朽化に伴って長期休館に入った東京日比谷公会堂の存在感
芸術の殿堂として長い期間、多くの人たちに親しまれてきた東京の日比谷公会堂が、2016年4月から長期の休館に入っています。
理由は建物の老朽化で、今後は建物をできるだけ残しつつ耐震化を進める大規模な耐震改修工事によって生まれ変わり、再開すると発表されています。なお、再開の時期は未定です。
この機会に、東京日比谷公会堂という施設の存在感や耐震化の必要性について考えてみたいと思います。
関東大震災で傷ついた東京の復興シンボル
日比谷公会堂が完成したのは、昭和4年、西暦1929年のことです。
つまり100年近い歴史を持っているということになります。
日本はどこにいても地震との関わりを避けられませんが、この日比谷公会堂も関東大震災で壊滅的な被害を受けた東京の復興に取り組む中で誕生したシンボリックな施設です。
東京の復興に尽力していた後藤新平が発起人となり、かの安田財閥を築いて巨万の富を得た安田善次郎が寄付をしたことで完成しました。
当時としてはモダンで先進的な建物として、多くの人の称賛を集めたのです。
音楽や政治の表舞台となった歴史の生き証人
日比谷公会堂の存在感といえば、やはり外国からの大物がこぞってコンサートを開いたことです。
世界的なクラシック音楽の指揮者であるカラヤンが何度もコンサートを行っており、こうした権威的なアーティストとの関わりもあって「日本のカーネギーホール」とまで呼ばれた時期もありました。
なぜこれほど大物アーティストに愛されてきたかというと、そこには残響時間の少なさ、音のクリアさがあります。
「化粧をしていないすっぴんのホール」という異名を持つほど演者の音を忠実に伝える能力を持っており、このことも日比谷公会堂のネームバリューを高めています。
それと同時に、政治的な舞台になってこともありました。
当時の社会党委員長であった浅沼稲次郎が日比谷公会堂で演説をしている最中に刺殺されるという事件も起きており、この施設が日比谷という政治的な舞台と非常に近いところにあることも物語っています。
繊細な性能を持つ施設だけに耐震工事も簡単ではない
2016年4月から始まった大規模改修にあたり、これだけの存在感を持つ施設だけに各界から多くの声が上がりました。
特に音楽会からはクリアな音をつくり出す空間を残してほしいという声が強く、そういった繊細な性能を維持するという意味でも改修工事は簡単なものではないようです。
工期が未定となっているのもそのためで、世界的に愛されている施設だけに生半可な工事はできないということなのでしょう。
再開はまだまだ先のことですが、生まれ変わった日比谷公会堂の姿を楽しみに待ちたいと思います。